手話学習者のsoil-rockです。
「聞こえない」、わからない体験をする。雑音の入ったヘッドセットを付けて、仮の講義に参加。
講義のテーマや資料は配布されているけれど、今、何について話されているのか、どこまで進んでいるのか、話が脇にそれているのか、がわからない。不安というか、取り残されたような感じ。そこに存在しているのに。
これは、体験だけれど、これが現実の職場や学校であれば、そこに通い続ける気持ちを保てる自信はない。そんな中で、自分を気にかけてくれる存在は、命綱に近いものでした。気持ちとしてはその人の隣に居続けたいと思った。
手話通訳は、意思疎通支援事業のひとつ。
「支援」という言葉、その意味は、(たった数回の支援の受け手の経験からすると)状態を理解し、自分が聞こえていないことをわかってくれていて、(表現が正しいかわからないが)気にかけてくれる存在をいうことか、と感じました。専門的な「支援」の定義はまた別だと思いますし、支援者との距離感は適切・適当であることも必要だと思います。
たった数回聞こえない体験をしたところで、聞こえない方々の日常の思いの欠片にすら及ばないと思います。でも、この体験は聞こえない方と関わる者にとって、(もちろん、関わらない人でも)欠かせない経験だと思いました。